故郷の野辺地に帰っていた長澤さんは強い衝撃を受けた


 45年8月、九州・五島列島付近で、海面に浮上していた、長澤さんが乗る伊号第363は、米戦闘機・グラマンの攻撃を受け、艦上にいた乗組員2人が撃たれた。

http://www.otoku47.com/author/nbghjub/ http://www.inupic.com/content/users/109 艦は急速潜行し、深度を下げたが突然、ドーンと衝撃が走った。制御が利かず、水深100メートルの海底に突き刺さったのだ。

 操縦部隊が必死に艦を浮上させようとしたが状況は変わらない。

 1時間、2時間…と時間が過ぎ、艦内の温度が上昇。長澤さんは、噴き出る汗をぬぐった。濁った空気が漂い、艦内には「ハア、ハア」と乱れた息遣いが響いた。

 「生きたい」「太陽を見たい」と祈っていた長澤さんも「もう駄目だ」と死を覚悟した。
 その時突然、艦が浮上し始めた。奇跡だった。
終戦から2カ月後の45年10月、伊号第363は広島・呉港から長崎・佐世保へ移動中、宮崎県沖で機雷に触れ爆沈。乗組員34人が死んだ。「せっかく戦争を生き抜いたのに」。故郷の野辺地に帰っていた長澤さんは強い衝撃を受けた。そして、悔しがった。

 http://dream-share.jp/users/profile/504 http://pepakura.info/userinfo.php?uid=1706戦後、町職員となり、家族を持ち、平穏な日々を手に入れることができた。72年たった今、考える。

 敵艦と対峙(たいじ)したあの日、艦長が回天出撃を命じていたら…、潜水艦が海底に突き刺さったままだったら…。毎日のように報じられる朝鮮半島のニュースを見ながら「戦争は二度と起こしてはならない」と心に刻む。