8月31日まで釜石市郷土資料館で開かれています。

1945年7月14日、一度目の艦砲射撃は昼に始まりました。学校に向かう途中だった金澤さんは難を逃れ、家に駆け戻ると父が泣きながら彼女を抱き寄せました。

「母ちゃんが死んだ」ー。

http://garou.net/userinfo.php?uid=414 https://workshift-sol.com/users/view/101050 家の裏にあった防空壕は砲弾の直撃を受け、中にいた9人が亡くなりました。母・タヨさんの体は跡かたもなく、わずかに髪の毛と着ていた着物の一部だけが残っていました。

(金澤さん)「髪の毛が赤い人だった。色が白くてね。髪の毛をひろって箱に入れたと思う・・・父親がどういう思いで箱にいれたかと。それを時々考える」
 
 http://vururu.jp/profile/14613/ http://www.sharedmemo.com/cvnjhfg/金澤さんは悲しい記憶とともにあの日見た太陽が忘れられないと話します。
(金澤さん)「すごく大きなお日様だった。ギラギラ光ってそれが記憶にある赤かったあんなお日様見たことない」
 
 深く刻まれた悲しみの記憶は「語ろう」と心に決めるまで72年の時を要しました。金澤さんの体験記を含む企画展「釜石と戦争」は、8月31日まで釜石市郷土資料館で開かれています。